2021年9月1日水曜日

Chargers Only 失われたCounter-Strikeの競技ルール

前史として90年代にQuake(Quakeworld)の4v4 TDMをインターネットやLanを通じてプレイする文化というのが生じた。当時こうしたチームはClanと呼ばれ、単純な競争原理により強力なプレイヤーは強力なクランを求めて結成され、またそうして生まれた強力なクランが強力なプレイヤーを獲得していった事で、各地に「ご当地最強クラン」が誕生する(北米のDeathrow、スウェーデンのClan9など)。

90年代当時のComp QW 4v4の標準的なフォーマットは1マップ20分のTime Limit TDMで、なぜかというと多数のチームが参加するオンライントーナメントを効率よく捌いていく場合にFrag Limit TDM(規定スコア到達で勝利)の場合は時間の見通しが立たず単純に不便だったからである。こうして競技シーンの下地が…特に欧州はQW Clan Tournament/Leagueをベースにして成立していった。またその後もQuakeは継続的にThreewave CTFやTeam Fortress(クラスベースCTF)といったチーム戦用のMODが(98~99年は主に旗取りゲームを中心に)開発されチーム戦という文化自体が活発化していく。

99年にリリースされた当初のCounter-Strikeはいわば変則的な旗取りゲーム(CTF)で、対テロ部隊が立てこもり犯の包囲を突破して人質を救出するというラウンド制のゲームだった(いわゆるcs_マップ)。同時代の類似作品(これもMOD)ではScience and Industryなどもあり、Beta1~3の頃は武器やスキンが当時としてはリアリスティックでユニークだったが、さほど革新的なゲームとはみなされていなかった。転機はおそらくCS Beta4で、ここで爆弾解除シナリオ(de_)が追加されると人気も爆発。当初はDust、Nuke、Prodigyの3マップしかなかったが、新マップはその後どんどん量産され、cs_siegeやcs_militiaのde_改造マップなども(誰かが勝手に)作られていった。

Beta5~7(99年後半から2000年の半ば)の頃にはもう欧州の有力なクランが続々と参入し、彼らのQW対戦などで培われたノウハウが活かされていく。つまり欧州のCSシーンはQWシーンの延長線上として始まったのでQWのフォーマット…つまり20分ゲームを基本としてルールが制度化されていた。当時欧州でプレイされていたルールはChargers Only(CO)と言い、各チーム20分交代でT(攻め)とCT(守り)を交代して1マップ計40分でプレイする。

現在主流となっているCSの競技ルール(BO30各ラウンド約2分)との最大の相違点は、完全時間制で20分の間であれば何ラウンドプレイしても構わないが、あくまでTの勝利ラウンドだけを点数として計上する事だろう。つまり20分の間に仮に20ラウンドをプレイしてその内の5回を爆破(CT殲滅)成功した場合(15ラウンドはCT勝利)も、20分の内に5ラウンドだけプレイしそのすべてで攻撃を成功させた場合(全ラウンドCT敗北)も同じ結果として扱うという事である。COルールの場合、駆け引きの焦点は「時間」となる。ラウンドを落とそうがとにかく時間内に1つでも多くトライしたいTと、無価値なラウンド勝利よりも1秒でも多く時間を稼ぐ事で攻めを凌ぎたいCTという双方の非対称な思惑がぶつかり合うのだ。

またCOルールの利点はゲーム時間が比較的予測しやすい(原則40分)というのもある。同時期に北米で採用されていたラウンド制ルール(BO24各ラウンド3分)の場合、最短13ラウンド(~39分)で終了するが、最大までもつれた場合24ラウンド(~72分)がかかる。このブレ幅はオープントーナメントなど大量のチームの対戦を管理する場合にとんでもなく効いてくる。

COのデメリットとしてはTが基本的にラッシュ一辺倒になり、読み合いを掛けながら時間をじっくり使って戦うという戦術が(評価的に)選択しづらく攻めの多様性に欠くという点がある。電撃戦主体のゲームはCounter-Strike(現実的な対テロ戦闘)的でないという批判だ。

極論を言えば、COルールも完全ラウンド制BO24(北米)ルールもあくまでそれは好みの違いに過ぎない。テロがガンガン自殺的にプッシュしてくる方がスピーディで面白いし大会運営側の都合としても合理的だが、トンネルでぐだぐだしてるDustやエントランスで延々はしごを昇ったり降りたりするNukeというのも実際趣がある。

もともとQuakeの時代から北米と欧州でしばしばルールが異なる(使用するクライアントの違いやbhopの減速ペナルティの有無など)事は既にあったが、Counter-Strikeも同様にこうした(今日的な感覚で言えば)特殊なルールが2000~2001年頃まで存在したのである。これもサイバースポーツの過渡期に起こる典型的な問題の事例といえよう。

歴史的事実として欧州/北米ルールの統一問題は最終的に2001年末にアメリカで開催されたCPL Winterの開催により半ばなし崩し的に北米ルールで標準化された。この際に欧州コミュニティの抗議は全く聞き入れられずアメリカのコミッショナーが強権的にそれを採用したのだが、金を出してる側に強く文句も言えず、欧州チーム…具体的には当時のNIPは仕方なくそれを飲む事になったし、彼らはそうした慣れないルールをほぼぶっつけ本番でプレイして当時北米で最強とされていたTeam3Dの前身チーム相手にストレート優勝している。ファックアメリカだぜ。

2002年になるとCOルールはDreamhackやLan Arenaといった欧州のトーナメントですら採用されなくなるのだが、この辺りの経緯や事情は結構複雑で単にアメリカ≒CPL(資本)に追従しただけではなく、当時のビデオゲーム(という文化)や社会を取り巻く「世相」が大きく関わってくるのだがそれについてはまた折に触れて紹介しようと思う。


-本稿は元々数年前にZineで発表したE-Sportsコラムの草稿を手直しした物です。
https://vgdrome.blogspot.com/2021/09/definitionofterrorismB.html
以上の(煩雑な)読み物のサブテキストや比較的簡易なまとめとして9/17に公開します。

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ugh