2023年3月8日水曜日

アニメ21エモンのエンディングはヤバい。

インターネット配信サービスでは主題歌がそもそも消されていてヤバい

アニメ21エモンのエンディングはヤバい。提供された主題歌楽曲の使い方がラディカルでヤバい。「テレビアニメ」という一定に確立された商業的な形式とその都合に合わせて楽曲に大胆で破茶滅茶な専用の編集をしていてヤバい。それでいて最終的な出来栄えはそれほど違和感なくまとまっているし、なにより原曲よりも楽しく仕上がっているのがヤバい。相当アナーキーな事をしているのに丁寧、このバランス感覚が絶妙。

まずアニメ21エモンのエンディングテーマは前期と後期で計2曲あるのだが後期EDの「ベートーベンだねRock'n'Roll」から触れていく。なぜあえて後期EDから説明するかと言うと「ベートベン~」の方が圧倒的に編集が分かりやすいからである。


左はDVD BoxからのRip(ノンテロップED) 右がオリジナル音源のCD Rip

聴き比べてみて、まず分かるのはEDの方が曲自体のスピードが速く(+4.4~4.5%)、元々ハイテンポな曲ではあるが編集後のBPMは170近い事。またタイムストレッチをしていないのでピッチも速度変化に合わせて当然元より高くなっている。

ちなみに歌っているのは80年代に映画 幽幻道士シリーズに出演し日本で大ブームを起こした台湾の子役テンテンといい、安達祐実に代表される90年代の子役ブーム(大衆性を獲得した広義のロリコンブームと言えよう)に先駆けて活躍した児童アイドルである。そもそも単純に幼い(当時12歳)というのもあるが、母語でない言語で歌っている為に発音に独特な癖がありそれがネイティブスピーカーには舌足らずで幼稚なイメージをより想起させる。21エモンEDはここから更に素材のピッチを上げることで、声は高く早口で空元気な幼い雰囲気を増幅させている。

幽幻道士のテンテン
元々テンテンというのは映画での役名だったのだが
通りが良いのでそのままそれを日本での芸名とした
エマ・ワトソンがハーマイオニーを名乗って活動しているようなものか

また原曲はイントロの後にAメロではなくサビが始まる比較的性急な構成なのだが、EDのエディットでは更にイントロを丸ごとスキップしてコーラスのド頭から始まるようにしている。その異常なアタックの強さはネタが分かっていても毎回度肝を抜かれること必至。

いきなり爆音過ぎてもう画を見るだけで怖い

そして通常通りAメロとBメロを挟んで2番のサビが終わると「誰にあげようか I Love You」という最後の2小節がもう一度だけ繰り返されアウトロで〆られる。原曲では最後の大サビ(8小節のコーラスを2度繰り返し)後に続く4小節(2小節x2回)の箇所だが、その後半2小節だけが切り取られる形で2番のサビに接続されている。あのイカれた音の入りを考えると丁寧で小綺麗な終わり方だが1分30秒近い大胆なカットでもある。

66秒という中途半端な尺が初めから型として決まっていて、そこに(伝統的な日本のポピュラーミュージックの作法と形式で作られた)音楽をはめ込む必要があったとしても各部をカットした上にピッチまで変更するというのは埒外のアプローチである。Eventideのハーモナイザーは70年代の放送業界に革命を起こし過去のコンテンツは広告の為に圧縮されていったが、一方でマスタリングされた完成品であり、CDという商品(その広告としての主題歌起用)にこうして手を加えることは当時の音楽産業の慣習的に極めて珍しく、作り手に強い信念があったのだと見受けられる。また副次的な結果だとは思うがテンテンの魅力をその幼さにあると確信してピッチを上げている部分もまた少なからずあるだろう。

このように21エモンEDでの「ベートーベンだねRock'n'Roll」の異常性が明らかになると、やはり前期EDである「21世紀の恋人」にも同様の編集が施されているのではないかという疑念が当然生じてくる。その推測はやはり正しく「ベートーベン~」は「21世紀の恋人」で(またはそれ以前より)使用された編集技術や理念を踏襲して作られた成果物である。


左はDVD BoxからのRip(ノンテロップED) 右がオリジナル音源のCD Rip

「21世紀の恋人」は「ベートーベンだねRock'n'Roll」と違い曲のスピードは操作されていない…それが当たり前なのだが、21エモンエディットは異常なので視聴者を疑心暗鬼にする。とりあえず気付くのはいきなりサビのド頭から始まることだが、もはやこれも21エモンEDの特徴的な共通点と言えるだろう。原曲自体もイントロから続けてすぐサビが始まる「ベートベン~」と同様の構成で、オーダーの時点でサビが頭に来るよう求めていたのか、はたまた偶然なのか分からないがそうなっている。

元々4分半くらいある曲を66秒に短縮しているのでトータルの圧縮率は驚異の25%、1番(頭がサビなので2回目のサビ)が終わるだけで2分ある曲をどうやってここまで縮めるかであるが、基本的なJ-Popマナー(AメロBメロサビの3部構成)を遵守しつつ徹底的なカットによってそれを実現しており、まず冒頭からいきなりサビの半分、8小節がぶった切られている。冒頭の頭出しの強さに戸惑っていると本来8小節x2の計16小節で構成されていたサビが真っ二つになっている事に気付けないという手品のようなミスディレクションで、イントロに加えてサビの半分、実時間にして約22秒がいきなり消し飛んでいるのだ。

歌詞ベースで21エモンカットを視覚化

そしてつづくAメロ、開幕のサビと同様にこれも前半の8小節が丸々切り取られて後半の8小節だけになっている。これでまた実時間にして約14秒の短縮、同じ8小節を2度ループするのは冗長という哲学、これこそ商業音楽である。そして続く8小節のBメロプリコーラスだがここはカットなし、しかし実はここで1番のBメロではなく2番のBメロにスキップしているのが芸の細かさ。更に本来は3番プリコーラスから繋がるはずの転調予告1小節が接続され、3番のサビを飛び越えていきなり4番の大サビが始まる。実時間にして約124秒のワープ、21エモンがロケットを発進させる劇的なカットイン演出と共に全体の半分近い内容が多段式ロケットがごとくここだけで切り離される。

ヤバすぎるワープ転調

本来なら約3分半をかけて溜めた末に引き出される転調の大サビが僅か47秒で到来、むしろそこにカタルシスを感じざる得ないが、やはりここでも21エモン原則に則り前半の8小節が丸々カットされている(約14秒の短縮)。そしてラストは本来「好きよ あなただけ/ずっと あなただけ」というアウトロに繋がる4小節の「好きよ あなただけ(2小節)」を削る事で地味に約4秒の節約、アウトロは急速なフェードアウトで約16秒を削ぎ落としている。

21エモンED編集の最終形イメージ

最終的に残ったエッセンシャルな21世紀の恋人は以下の形になる

1サビの後半8小節
1Aメロの後半8小節
2Bメロ
3Bメロ後の転調1小節
4大サビの後半8小節
ずっと あなただけ

削除された21世紀の恋人要素がこれ

イントロ約8秒
1サビの前半8小節約14秒
1Aメロの前半8小節約14秒
1Bメロ/2サビ/2Aメロ/3サビ/3Bメロ約124秒
4大サビの前半8小節約14秒
好きよ あなただけ約4秒
アウトロ約16秒


以下は「21世紀の恋人」の歌詞テキストデータ

赤字が21エモンEDで切り取られた部分、青字が残った部分である。

イントロ

1サビ

もう私 迷わないわ あなただけを見つめてる
その瞳 私だけの星をちりばめて

もう私 迷わないわ どこまでもついてゆく
連れてって 夜を越えて ふたりの宇宙へ


1Aメロ

まるで羽根が生えたみたいあなたと手をつなぐとき
なぜ? ハートが踊りだす

悩みさえも無重力ね
ブラックホールの彼方に消えるわ


1Bメロ

21世紀の恋人は
あなたでキマリ


2サビ

もう私 迷わないわ どこへでもついてゆく
連れてって 時を越えてふたりの未来へ
もう私 迷わないわ あなただけを信じてる
その胸に飛び込むから 強く抱きとめて


2Aメロ

思い出せば不思議だよね喧嘩もしてきたけれど
なぜ? 気づけばそばにいる
つのる想い 無限大ね
今わかる これが愛かもしれない


2Bメロ

21世紀の恋人は
あなたでキマリ


3サビ

もう私 迷わないわ あなただけを見つめてる
その瞳 私だけの星をちりばめて
もう私 迷わないわ どこまでもついてゆく
連れてって 夜を越えて ふたりの宇宙へ


3Bメロ

うなずくみたいに
星が流れる

4大サビ

もう私 迷わないわ どこへでもついてゆく
連れてって 時を越えてふたりの未来へ

もう私 迷わないわ あなただけを信じてる
その胸に飛び込むから 強く抱きとめて

好きよ あなただけ ずっと あなただけ

アウトロ

21エモンが成し遂げた事は何だったのか?序奏の軽視と2コーラス構成に対する絶大な信頼、ひたすらループを短縮して削ぎ落とし骨だけを剥き出しにするような編集や時にはボーカリストを蔑ろにするような雑なピッチ変更すら辞さない独善的な姿勢…端的に言えば21エモンとは20世紀JPOPの代替的な美学である。66秒という楽曲フォーマットはテレビ局やスポンサーといった外部の思惑、商業的な理由によって課せられた不本意な制約であるが、主流音楽産業の伝統的なポピュラーミュージックマナーとその商品的な形式が陳腐で冗長な引き伸ばしに過ぎない事をまた如実に示してもいる。

その一方で難解で複雑な欧州の現代音楽のように音楽がリスナーを試し、拒絶するような事は決してなく、安定した予定調和の4拍に終始する事は事実そうした実験音楽やその影響下にある現代のポップス(ポピュラーミュージックは現代音楽で培われた要素を取り込みその範囲を常に拡大している)やハイパーポップやグリッチポップと呼ばれるようなその合間に位置付けされる存在と比較していささか緊張感や驚きに欠くだろう。

既存の楽曲にタイムストレッチをかけず35%ピッチを上げて高速化し、ボーカルをChipmunk声に加工する事を審美的に「正しい」と捉える悪名高きインターネット文化/音楽ジャンル Nightcore(NxC)が反発を受けたのはその明け透けな過激さと露悪的な態度にあったわけだが、逆説的に言えば21エモンという美学はそのポップネスがゆえに異質なのである。一見すると過激さは見受けられず、むしろ凡庸なウタモノのタイアップにしか思えない仕事に妥協のない徹底した省略と短縮の思想と技術が注ぎ込まれ、またそれをひけらかすような態度を見せない事が翻って反骨的なのだ。

いよわ ラストジャーニー

21世紀生まれのベッドルームプロデューサー「いよわ」の作る音楽は過激かつ過密なポップスである。左右の奇妙な音程差や極端にパン振りされたトラックに破綻寸前までサンプルが敷き詰められ…そのただでさえ異様なサウンドスケープにグリッチーなエフェクトやリトリガーを平気で多用するバグったワープドライブの感覚はポップスを今日の限界レベルまで加速し重ね圧縮したものである。

そのスリリングな快感に満ちたリスニング体験の一方で「いよわ」の楽曲は決して短いわけではない。3分~4分といった普通の尺で1曲が作られている。いよわはトラックを過密化し「ポップス」を圧縮させた分だけ、その隙間へもミチミチに濃縮して固めた「ポップス」を充填している。伝統的なポップスの形式で過剰な音像を作り上げる為にこそいよわの楽曲は高度に集積化しているのである。

Gas Timestretch

21エモンはポップスをポップスたらしめる為に圧縮されたが、一方でそうして出来た隙間にフィリングされたのはアニメ本編や広告という事になるだろう。しかしだからといって21エモン的美学がそうした第一義の主従関係によって成立したに過ぎないと断言して良いのだろうか?答えは否だ。アナログDJスタイルのピッチング違和を恐れてはいけない、あらゆる物をファストにして滅茶苦茶にすべきだ、長ったるい文章はChatGPTでメタクソに要約すべきであり、時間は有限で、我々は現在も急速に死に向かって接近している。惟うに21世紀の恋人とは生と死の間で過密化して加速された現代人の大量消費である。我々は一定にそれを愛し、まるで離れがたきもののようにすら感じているのだ。資本主義はしばしば文化を軽視し経済的な合理性のみを追求するが、人々はそこでもたくましく美学を見出す。資本主義は個の生を利用し最大限の価値を目指す狂気であり、そこに体系化された洗練性を見出す事は狂気を越えた狂気に他ならない。

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