2023年2月15日水曜日

「いいね」は犯罪行為である

 いいね犯罪


いいね犯罪(‘Like’ Crime)とは…差別主義憎悪扇動、陰謀論のデマゴーグなどの有害な情報を発信/公言する人物や団体の投稿に「いいね」する罪である。特に著名なクリエイターやビジネス、スポーツ、芸能など各分野で一定の成功をおさめた影響力の強い人物が殆ど無自覚な形でそれを犯す為に広範でトラブルになっている。また2017年~2018年頃から顕在化した比較的新しい概念である。

以上!!!!!

「RTならともかく、なんで"いいね"しただけで犯罪者呼ばわりされなきゃならないの?」とか「Twitterのいいねは2015年、前身のお気に入り(Favorite)はもっと前から既にあった機能なのになぜ2017年~と時期を特定して定義しているの?」など上記の説明に所々疑問を感じたり、どうにも納得がいかないのであれば続きを読んでみるといいかもしれません。それで納得できたり、あるいはできなかったり、更に疑問が深まるかもしれません、人生は苦悩と苦難の連続だ!

Do not think that I have come to bring peace to the earth; 
I have not come to bring peace, but a sword 
(Matthew 10:34).

私が地上に平和をもたらしに来たと思うな 
私は平和ではなく 、むしろ剣をもたらす者だ 
-マタイ伝 10章34節


いいね犯罪 言葉の起源

「‘Like’ Crime」という言葉はハリーポッターシリーズの著者として知られるJK Rowling(JKR)が2020年に自身のコラムの中で用いた物である。それ以前に他の誰かが使用している可能性は高いが「いいね犯罪」という概念がどのように広く一般に知られるようになったかの過程を考えるにJKRの存在は極めて大きく本稿では便宜上それを起源とする。

ペンを持つローリング

本人がそう述べているように2017年頃よりJKRはトランスジェンダーを揶揄するような悪趣味なユーモアや排斥的な言動を含む記事リンクを度々「いいね」しているのが発見され批判と攻撃を受け始める。こうした「前兆」からしばらくして2018年にJKRは故Magdalen BernsのTwitterアカウントをフォローした事を契機に、その影響を受ける形で急速に、いいね欄を先鋭化していった。

Magdalen Bernsとは当時Youtubeなどネット論壇でカルトな人気を博していた筋金入りのレズビアンで自称「フェミニスト」だが、その実態はGender Critical Feminism(GCFジェンダー批判的フェミニズム)とよばれる反動保守的な反ジェンダー主義者である。GCFあるいは単にTERF(trans-exclusionary radical feministトランス排斥過激派フェミニスト)と呼ばれる思想の特徴は生物学的な性、すなわち女体性(男体性)を重要視し、「ジェンダー」は生まれながらの「セックス」に基づいて規定されるべきだと考える点にある。また更衣室、トイレ、公衆浴場といった男女別の公共空間に「男性」が侵入し「女性」に危害を加えるという被害妄想的で針小棒大なシナリオを通じて差別感情を正当化するのがその典型だろう。

拳銃を持つボーヴォワール

Simone de Beauvoirが「第二の性」の序文で「人は女として生まれるのではなくやがて女になるのである」と述べたように、今から70年以上も前の第二派フェミニズムはセックスとジェンダー、性と(性的)役割は異なる概念であり後者はしばしば不当な抑圧によって後天的に規定されると論じていた。一方で現代のGCF/TERFと呼ばれる思想グループはMtF(男性から女性へのジェンダー移行)トランスセクシャルを生物学的な性(セックス)によってジェンダーを規定し無効化する。端的に言えばGCF/TERFとは反フェミニズムなのである。そうした特性からWispa紛争などProud Boysのような男は男らしく、女は女らしくそれぞれの領分で生きるべきでそれが公正であると考える極右とゆるやかな形で共鳴するケースもある。

アサルトライフルを持つProud Boys創始者のライガイエ
反ワクチン主義者だがCovid-19の合併症で2023年に死んだ

しかしここで最も重要な事実はJKRが直接的に他のGCFアクティビストや口汚いトロールのような差別的な内容の投稿をしたり憎悪扇動を行ってはいなかったという事だ。彼女はただ悪名高いそれらに対して、当初はまだ「いいね」を押しただけだったし、実際にそうした「行動」が批判され始めると調査取材などメモ代わりにうっかり押してしまっただけだし、それを元に自分の内心を推し量られるのは心外であり、こんな事で差別主義者のレッテルを貼るなと反論した。

「いいね犯罪」という言葉は彼女のユーモラスでシニカルな表現だ。いわく「いいね」は彼女のTwitter運用上における単なるメモであり、彼女の言葉でも思想でもない。ただそれを集めて記録する事がなんの「犯罪」であるのか?という反語表現なのである。だとすればJKRの言う事は正しい、ちゃんと筋が通っている。例えば犯罪小説の作家が犯罪について調べ物や取材をするのは業務上当然の事だし、その創作ノートが犯罪計画の証拠やその人の思想だと見做すのは大きな間違いだろう。

「犯罪者予備軍」という言葉が「非犯罪者」に不当な意味付けを施す卑劣なレトリックであるように「いいね犯罪」は犯罪ではないのである。


"But they went out and spread the news about him throughout that whole area."(Matthew 9:31)

しかし彼らは外に出るとそれらの報を周囲に広めて回ったのだ -マタイ伝 9章31節


何が「いいね」に起こったか

そもそもJKRのいいねがなぜ問題視されるようになったのかというとTwitterの「いいね」が2017年3月に仕様を変更したからである。Twitterは2016年よりアルゴリズム化タイムラインを導入し始め、Donald Trumpが米国の大統領に就任した2カ月後、Twitterはその一環としてフォロイーの押したいいねがタイムライン上に「○○さんがいいねしました」と自動的に表示するように「改良」を行った。このいいね見せつけ機能は全ユーザー完全強制で見る事も見せる事も無効化できなかった。元から「いいね」は個々のユーザーページから閲覧可能な公開機能であり、Twitter(プラットフォーム)としては他人に知られても問題のない「公開情報」であるという認識を前提に機能実装したのだと推測される。

燧発式ライフルを持つトランプ

TwitterというSNSはそれ自体がコンテンツを提供するのではなくユーザーが何かを投稿する事で初めてコンテンツ(ユーザー生成コンテンツ=UGC)が生じる。基本的にTwitterはその「場」を提供しているに過ぎず、つまりいかにユーザーからの「創造」を促進するかに全てがかかっているのだ。2017年3月までTwitterは自発的な投稿である「Tweet」と同プラットフォーム内の他者のコンテンツをシェアする「Retweet」、この二種のUGCだけがトップに表示されており、個別のボタンからメニューダイビングを行わない限りそれが「全て」であった。渇きのような活字への欲求や、全てのボタンを押して回らなければ気が済まないといった強迫観念がない健やかな「普通」の人達にとってTwitterのストリームはそこで終わりなのだ。また念のため補足しておくと既存の情報を別の人間がシェア<複製>する事はプラットフォームにおいては十分に創造的な行為であると見做される、それを「誰」がシェアしたかが重要だからだ。あなたの友達や恋人、尊敬する人物やファンといった個々の関係性が同じ文字列の並びに全く異なる意味をもたらしたり、無機質なURLリンクに安心や期待など様々な付加価値を与えるのである。

Twitterがいいねをタイムライン上に表示したのはつまりプラットフォームのコンテンツのかさ増しの為である。それまでTweetとRetweetしかタイムライン上に表示されず、実質的に死蔵状態だった「いいね」をここに放流すればユーザーの「投稿」と「シェア」の絶対量を増やす事無く「コンテンツ」を増量する事が可能なのである。仮にこれまでTweetとRetweet合わせて5回、Likeを10回している典型的な「いいね過多型」ユーザーがいたとすれば、その人のフォロワーのコンテンツストリーム量はこのアップデートでなんと最大で2倍に跳ね上がるのである。これを営利企業が呑気に放っておくわけがないのだ。

iphoneを持つTwitter創始者のドーシー

またいいねの強制ストリームは単純にエンゲージメントを高める。一つなにか良いシナリオを捏造するとすれば…あなたは会社の同僚のアカウントをフォローしていて、彼はネットではひどく無口な男だったとしよう。だからTwitterのタイムライン上であまり彼の存在を見かける事はこれまでなかったのだが、3月のアップデートで彼がフレッドペリーのシャツをいいねしているのを発見できるようになったのだ。それから後日会社で顔を合わせた際に「先日Twitterでいいねが流れて来たんだけどいいシャツだねモッズかな?」なんて話題を振って「あぁ実は…」と会話が弾んだりすれば素敵じゃないか?くそったれめ

流通する「コンテンツ」の量を増加させるべく「いいね」の仕様を変更して勝手にそれを見せて回るようになったのは企業の利益追求の一環でしかないが、これによってユーザー間の「コミュニケーション」の促進がなされたのは間違いない。タイムラインに流すのは憚られるが積極的な「肯定」や「主張」には当たらないだろうという認識で備忘録代わりに「いいね」してきた物が「○○さんがいいねしました」とまるでこちらが太鼓判を押したかのような表示と一緒に周囲に言いふらして回るようになったのだから、そこで混乱が生じるのは当然だろう。

そもそもJKRが悪趣味な「いいね」を押していなければなんら問題がなかったとはいえ、Twitterの表示システムが彼女の1000万人を超えるフォロワーにそれを逐一開陳し悪目立ちさせた構造的な問題もまた無視できない。結果的に反トランスジェンダー思想グループはJKRをそのスピーカーとして祭り上げ、トランスジェンダーの当事者や親和的な思想グループはそれらと決定的に対立せざるを得ない状況になってしまったのだ。

Blessed are you when people insult you, 

persecute you and falsely say all kinds of evil against you because of me.

(Matthew 5:11)

人々が私の存在を以てお前を侮辱し、迫害し、

誤った邪悪を口にする事はお前にとって幸福な事なのだ

 -マタイ伝 5章11節


インターネットでは「いいね」があなたを利用する

JKRを災禍の中心とした一連の紛争は反トランスジェンダー(≒反ジェンダー)ムーブメントの拡大に寄与した。かつてMagdalen BernsのVLOGを見ていたような比較的コアな層だけでなく、インターネットバイラルはよりポップでキャッチーに娯楽的指向の強化やより広範に作用するショック戦術で大衆的な人気を獲得している。「チンポの生えた女とセックスしたくない!」という主張(いわゆるコットンの天井)はレズビアンカルチャーにおいては一定の説得力を有していたがシスヘテロ女性はそもそも女性とセックスをしないので、こうしたレズビアニズムに由来するモットーは「チンポとヒゲの生えた変態が女湯であなたの娘の隣にやってくる!」といったように子育て世代の母親層をターゲットにリメイクされて伝搬している。

グローブをつけたバーンズ
彼女は優れたアスリートでもあった

「いいね犯罪」が露呈した当初はまだ気まずそうに振舞っていたJKRも今では完全に開き直ってLibs of Tiktok(極右+差別主義のトロールアカウント)に堂々といいねを押し、時には自ら反・反ジェンダーを嘲笑するジョークを軽やかに披露している。対立は敵だけでなく味方を生み出し、双方が嵐となって緊張と恐怖と興奮を生み出す。怒りは注目となりインターネットはそれを数字に変換して表示し、ポップアップする通知数、RetweetとLikeは赤に振り切ってアスキーの怒号と悲嘆が駆けずり飛び交う。まったくこんなに楽しい物はない、ただ数字がでたらめのように増えていくだけで人間が快感を覚えるというのはCookie ClickerやVampire Survivorsが証明しているようにインターネットの紛争は人をハイにする。JKRのような卓越した文才を有する成功者であってもこうしたレスバトルの誘惑と刹那的な承認欲求の快楽に抗う事はできないのだ。

人はこれに抗う事ができない

だから「いいね」を利用してはいけない。これはJKRのように反トランスジェンダー言説にいいねしてはいけないという短絡的な意味ではないし、有害なTweetや商業主義のデマゴーグ動画バイラルにいいねするべからずという意味でもない。そもそも「いいね」というボタン自体を押すべきではないのである。「いいね」はメモではないし内心の自由でもない、対象を肯定し世界へ拡散する意志のあらわれである。仮にあなたがそう思っていなかったとしてもTwitterというプラットフォームはあなたの「いいね」をそのように利用しているという現実を残念ながら自覚しなければならない。「いいね」を押すのにはそれだけの覚悟が必要なのである。

ハリーポッターゲーム(Hogwarts Legacy)の公式Redditでは
JKRの名前を言ってはいけないルールが設けられた(死ぬほど荒れるので)

ともすれば多くの場合「いいね」の代わりにRetweetをせめて使用するべきだろう。Retweetは複製物ではあるが主体的なコンテンツ生成であり、しばしばその人の主張や発言と見做される。同様に差別主義や悪辣な商業主義の拡散に加担するにしてもLikeとRetweetではアティチュードに明確な違いがあり、逆説的に言えば差別をするにしてもせめて自分の声で責任をもって自覚的に差別をすべきなのである。

伊藤詩織の名誉棄損訴訟ではRetweetが本人発言と認定されているhttps://www.asahi.com/articles/ASPCZ62RMPCZUTIL01G.html

「いいね犯罪」の「犯罪性」とは有害な情報や憎悪の拡散に(知ってか知らずか)加担しながらもその責任を負おうとしない態度に対するものであり、邪悪や優越的地位に対する鈍感さ、自覚の欠如の悪徳である。"当初"のJKRに非があったとすればTwitterのサジェストアルゴリズムにまんまと利用されて有害な情報を巻き散らかしてまわっていた事にまるで気づかなかった自身のマヌケさでしかない。彼女はいつの間にか舞台に立たされていた事も分かっていなかったし、その手で持ち込んだ物が剣である事すら分かっていなかったのだ。

書斎の本棚の奥に「我が闘争」を所蔵している事と髪を剃り88のタトゥーを入れて鉤十字のシャツを着て通りを練り歩く事の意味は異なるし、ゲイポルノをクローゼットの奥にしまっている事と虹色のシャツを着てクイアアクティビズムに参加することや、アニメや漫画が書架に並んでいる事とアニメや漫画のプリントがされたシャツを着てコンベンションに繰り出す事も同様に意味が異なる。無論これはアニメや漫画といったサブカルチャーやLGBTライツがナチズムと同義であるという意味ではなく内心と(自己)表現行為の違いについてである。

表現

高度に発達した情報化社会は内心と自己表現の境界を意図的に曖昧にする。そして人々の溶解した自意識がもたらすのは精神的に接続された博愛の世界ではなく、むしろファクション化の促進だろう。僕がこうして個人的な政治性の表明や試論を公開することもそうした「縁」を際立たせる結果になり、そこであなたは必然的に敵対、融和あるいは態度を保留する事を迫られる。お前は敵か味方か?と僕が言い詰めているのではない、プラットフォームがあなたの利用するサービスに設置した「いいね」を介してそうなるように図っているのだ。

モータリゼーションと陸路運搬によるロジスティクスの発展が社会を豊かにすると同時に通りの殆ど大部分が自動車に占有され、いつの間にか人間が「歩道」という名の端に追いやられてしまったように、インターネットの感情交差点を占有して行き交うのはコンテンツである。「いいね」を2017年以前のように使うのは道路の真ん中を闊歩する事と等しい無謀であり、積載超過のトラックは跳ね飛ばした人間を異世界へと誘うだろう。

「いいね犯罪」とは…
いいねが密かに人を複製可能なコンテンツに変え人間性を剥奪する事の罪なのである。

For I have come to set a man against his father, 

and a daughter against her mother,

and a daughter-in-law against her mother-in-law.

(Matthew 10:35)

私は男をその父と、娘をその母と、義娘には義母と…

それぞれが対立するよう仕向けるのだ 

-マタイ伝 10章35節 

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