2015年9月13日日曜日

FPSにおけるWASD設定の起源について1 [はじまりはいつもDoom編]

アメリカ最初の競技プロゲーマーことThresh
しかし彼が今日でも成功者として広く知られているのは、
引退後に起業家としてアメリカ資本主義ゲームを勝ち続けているからです。
1337 MagazineによるThreshの記事に彼がWASD設定を普及させた旨がざっと記載されているのですが、言葉足らずというか内容的にモヤモヤしたので今回はWASD設定、いわゆるThresh Bindについてその歴史的背景など掘り下げてまとめておきます。

WASDとは上下左右のアローキーです

ビデオゲームにおける今日のWASD設定、Thresh BindとはThreshことDennis Fongによって96年に体系化され、98年リリースのHalf-Lifeがゲームデザインレベルでこのキー設定を取り入れた事で世界的な規格として一定の完成をみました。WASD設定は96年という時代とThreshという支配的勝者によってシーンへ浸透した事はまず間違いないでしょう。しかしThresh BindはQuakeの為の当時最も合理的なキー設定の一つでしたが、同時にQuake以前の時代には適用できないキー設定でもあった事を忘れてはなりません。


Doomの前にDoomなく、Doomの後にDoomなし
Quakeのキー設定を深く理解するためには、Quake以前の時代を理解しましょう、歴史のお勉強です。93年にDoomが登場し、Doomの生まれた国であり、IBM PCのお膝元にしてそれが最も普及した国である帝国アメリカは当然Doomシーン最大の爆心地となっていました。ビデオゲームのプレイヤーによる研究スピードは単純に人口と時間ベースで加速します、100人の人が10時間遊ぶよりも、100万人の人が10時間遊んだほうがシーンは、よりはやく洗練されるのです。

94年の秋にリリースされたDoomの決定版ことDoom2の時代には、洗練された北米Doom競技シーンは各地で賞金トーナメントが開かれるようになっていました。今日のE-Sportsシーンで最も光当たる部分である巨額の賞金レースを考えれば、実に慎ましやかなものでしたが、いつだってどこだって、誰かに勝つ為に戦う人は常にシリアスでした。そんな競争が過熱する中で一部の識者達はマウスとキーボードコンビネーションの有用性にいち早く気付いたのです。1337の記事の中でThreshがQuakeの時代でもキーボードだけでプレイする人が多かった旨を話しているように、正確に言うなら競技シーンレベルでは94年から96年はその過渡期だったと言えます。

DOOMer(写真中央)
90年代のスウェーデンQuakeシーンで最も強かった一人
90s Swe Quakeとはこの人がどう立ち回ったかの足跡と言える程のレジェンド
Fragfest 96以降はマウスとキーボードでQuakeをプレイするようになった。
たとえばスカンジナビアはスウェーデンの伝説的プレイヤーであり、多くの人が今でも彼を90年代QuakeWorld世界最強と信じているものの、同じ時代に世界最強と目されていたアメリカのThreshとは最後まで戦う機会がなかった北欧無敵のフラッガことDOOMerは、96年のFragfestで優勝した時点では他の有力な参加者がMouse+K/Bで参加するなか、キーボードだけで戦っていた事実を忘れてはなりません、彼は第一線レベルのプレイヤーとしては最もマウス移行が遅かった人物の一人です。

イマジニアが販売したPC98版の日本語マニュアル
マニュアルの本文自体はオリジナルの直訳みたいなものだが、
移植を手掛けたインフィニティは90年代洋ゲー移植屋として一部では評価が高い。
しかしDoom2のインストラクションマニュアルや666 Sharewareと呼ばれた94年バージョンのDoomのReadmeなどにはマウスを用いる事で優れた照準操作(精確で素早い旋回)が可能になると既に書かれていました、しかし、ユーザーの多くはマウスを使いたがらなかったのです。なぜならマウス使用時の合理的なキー設定を多くの人は当初知らなかったからです。Doomの標準キー設定は矢印キーの上下で前進と後退をし、左右で旋回するという当時のスタンダードセッティングであり、殆どの人はその正当性を妄信していましたし、後述するDoom Engineのキー設定仕様の制限によりマウス使用に伴うキー設定を一から考案する事は今日の我々が考える以上に困難な事だったのです。

setup.exe
Doomのキー振り分けも設定できる同梱プログラム
キーボードの設定は映ってる10項目で全てですが、
基準のない時代はこれだけを設定するのにみんな苦労したのです。
Doomのキー設定は、そもそもStrafeキーを押さないと平行移動ができないWolfenstein3Dなんかに比べると遥かに柔軟でしたが、最大の制限が一つだけありました。登場する7種類+1の武器を選択するキーが1~7の数字に完全固定(テンキー不可)されているのです。Doom Engineの武器選択機能はソースコードレベルで定義されており、QuakeのImpulseのようなユーザーによる変更が一切出来ませんでした。マウスホイールやボタンによる武器スロットの前後送りといった類の機能もなく(この辺は後発ですがMarathonなんかが先進的でした)ショットガンを使いたい時はジョイスティックを使ってようが、マウスを使ってようが、まずキーボードの3を叩かなければならないのです。故に多くの人は当初はさながらキーボード上で行われるツイスターゲームがごとく複雑怪奇な指使いでDoomをプレイしていたのです。

Doom2の対戦がよくわかる一場面
BFGは撃った球が何かしらに当たった瞬間に射手の視界にいる敵に
問答無用でスプラッシュダメージが入るというイカれた仕様なので、
壁や柱にとりあえず撃ち込んでみて辺りを見回すというエントリーが有効でした。
そしてスーパーショットガンは湧いたばかりの無抵抗な敵を問答無用で瞬殺します。

Doomの対戦とはDoom2のMAP01(Entryway)を-nomonsters設定で戦うという極めて乱暴な差し合いゲームの事を大抵は指しました。実際にこの辺を見ていただくと参考になると思うのですが、今日日のArena FPSのような環状構造でないばかりか、現代の対戦FPSではまずあり得ない、まっすぐな細い通路を中心にして対峙し、隙を見てスーパーショットガン、ロケット、壁BFGを使い、いかに多く相手を刺すかを競うという大変に独特なゲームプレイでした。また、この3つの武器を選択する場合、順に数字キーの3、5、7を素早く正確に押す必要がありました。

多くのプレイヤーがおかしなキー設定でもがき苦しみましたが、それでも、おかしなおかしなDoom対戦のエキスパート達はDoomにおけるキー設定の最高峰を95年には完成させていました、それがESDFとRDFGです。このキー設定ではプレイヤーはマウスを使って旋回と射撃、いわゆるAiming全般を行い、前後左右の移動をEDSFあるいはRFDGで行います。

RFDG設定
この設定で最も重要なのはBFGの7を容易に打鍵できる点にある。
1と2がかなり押しづらいが、Doomのデスマッチにおいては、
そもそも敢えて殴りや拳銃を選択する必要がなかった。
DoomシーンにおいてはM+K/Bにおけるキー設定の完成形はWASDではありませんでした。なぜなら、MAP01で対戦相手を倒す為に柱や壁に向かってBFGを撃ち周囲を見渡すというDoom対戦特有の異様な動作をするには、まずBFGの武器選択キーである数字の7を押すのが絶対に必要であり、WASDをホームポジションにしてしまうと7に指が届かないのです。対してESDFは1から7のどの数字キーも一応は押せるバランスの良いキー設定でした。もう一方のRFDGはデスマッチにおいては、ほぼ死に武器で使う必要性が皆無な1と2(殴打と拳銃)を完全に捨てる事で、強力な7を容易に押す事が出来る完全対戦特化のキー設定でした。

Quakeシーンの前夜である95年のDoomシーンはDoomにおける仕様上の制限からESDFとRDFGというキー設定が自然に編み出されました。では対して96年のWASDことThresh Bindとは一体なんなのか、なぜそれが革新的であり、どうして今日のデファクトスタンダードとなったのか、ついでにFPSキー設定の最高峰だったはずのESDFとRDFGが何故に今では完全に忘れ去られ、ロートル連中がまだ未練たらしく使ってるぐらいのマイナーバインドとなってしまったのか!?

それらの謎は次の記事で明かされることでしょう、ここまで書いたら頭の切れる人はなんとなくこの先の推測がつくと思いますし、たぶんに蛇足っぽい内容になるかもしれませんがお楽しみにね!




最後に追記ですが、WASDの起源みたいな話をすると、したり顔で商業ビデオゲームにおけるWASD設定の始祖はWizardry(81年)だとか言い出す人が世界中どこでも絶対に出てくるのですが、FPSの特に対人戦での有利性(すなわち武器選択の高速化)が軸となって、特殊な制限下でユーザーベースから生まれた93年以降の潮流と、上下の矢印キーがなかったApple IIの為にPlato式の矢印キー操作をアレンジして移植したwizのそれでは偶然4つのキーが一致してはいるものの、本質的なその周辺キー(Doomにおける7番BFG)の役割が全く異なります。(ESDFとRDFGという先駆者の存在を無視していますし)

Platoのキーボード
今日の一般的なキーボードと異なり単独のアローキーがなく、
QWEADZXCに代替機能としてソフト側が組み込む事を想定していた。
日本語版Wikipediaのwizの項にも"ちなみに現在のファーストパーソン・シューティングゲームで一般的な「WASD」移動方式を導入したのは本作のオリジナル版である。"なんてな具合にドヤッドヤッと注釈を打ってあったりするんですが、つまりはめちゃくちゃ恥ずかしいのでやめた方がいいでしょう。(そもそもwizのADは左右移動ではなく旋回ですし、当初の操作系はマウスオペレーションでもありませんでした)

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ugh