2015年11月7日土曜日

FPSにおけるWASD設定の起源について2 [Quake覇者とHalf-Life編]

WASD
95年頃には、北米DoomシーンはDoomというゲームの特殊性と言いますか、著しいキー設定の制限によりESDF/RDFG設定を確立していました。95年の北米DoomシーンとはマイクロソフトがWindows 95普及の為のキラーソフトとしてDoom95を大々的に宣伝し、今日のオンラインマルチプレイヤーゲームの前身となる月額制ダイアルアップマルチプレイヤーゲームサービスDwangoにDoomを遠隔地の人と遊びたくて毎月9.95ドルを支払う人が1万人に迫る勢いで存在した…そんな時代です。


ビル・ゲイツもショットガン片手にご満悦だ

しかし翌年の96年にQuakeが登場した事で、Doomはすぐ衰退期に入ります。今日ではQuakeはDoomと全く異なるアーキテクチャ、プレイ感覚を有した…端的に言えば別のゲームだと多くの人が認識していますが、ジョン・カーマックが定義する技術的世代階層という観点でみればQuakeはDoomの進化形なのです。確かにQuakeはDoomの技術的な欠点、すなわち伸び代を伸ばしていきました。

Doom2から2年を経てリリースされたidが送る最も重要なPCゲームことQuake
Quakeは元々1年くらいの開発期間を想定していたらしいがエンジン制作が難航、
その間に人間関係の悪化からジョン・ロメロは完成を待たずに退社しているものの、
この破滅の時代が続いた事によりDoomシーンは成熟し、その最盛期を迎えたとも言える。
Quake Engineことid tech 2世代は3Dリアルタイムレンダ、サーバークライアント方式にネットワークプロトコルTCP/IPの採用などDoom Engineより大幅に進化した点が多々ありますが、これらの大規模フィーチャーの陰に隠れてキー設定をはじめとした入力まわりも大幅に改良され、ユーザーは操作キーのすべてを自由に振り分けできるようになりました。WASD、特にQuake以降のThresh Bindはこの仕様によりはじめて完成します。

Doomシーンの流れを引き継いでシリアスに対戦を楽しむ層ではQuakeも慣れからか当初ESDF設定がスタンダードとして定着していましたが、その流れを変えていったのが、自由の国アメリカが生んだ最初の競技プロゲーマー、賞金王ThreshことDennis Fongという華僑の人です。ThreshはDoom時代の(飛ぶ鳥落とす勢いのMicrosoftとDwangoが当時としては巨額の賞金大会を開催していた)頃から既に頭角を現していたものの、Quakeの時代に突入した瞬間、彼の感性とそれまでの経験が絶妙なバランスで、Quakeというゲーム、そして黎明期USシーンのスピードに合致し最高峰の競技者として完成します。

ジョン・カーマックから賞品のフェラーリを譲りうけた最盛期のThresh
完成したThreshは文字通り無敵でした、彼は96-97年のトーナメントをほぼ無敗で優勝しつづけます。当時のUSシーンに彼と真に対等なライバルは誰一人としていませんでしたし、そればかりかThreshは最強の競技者であると同時にシーン最高の賢者でもありました。彼のカリスマたる所以は、自分の考え、プレイを極めて合理的に自己検証でき、また他者にそれを伝える方法と、手の内を教える寛大さを持ち合わせていた事です。

彼のQuake論は当時のPC Gamer誌への寄稿や自身のWebサイトThresh Quake Bibleなどで読む事ができますが、97年には各所でWASDの基本設定とその優位性について話しています。簡単に言えばThresh BindとはWASDに前進/後退/左右移動を振り分け、その他のキーをその周辺に振り分けるというセッティングです。その上で重要なのが右端に5TGBという線を引くこと、小指で文字キーを押さないという点です。

Thresh Bindの基本
ピンクで囲ったキー群はWASDに指を置いた状態から自然に押せない
(押そうとすると無理が出る=反応が遅い)不安キーと定義している。
設定するキーの数が少ないバニラQuakeではTGBも推奨されない
Quakeにはデフォルトだと678に順にグレネード、ロケット、シャフト(Q3で言うLG)という、滅茶苦茶に強い武器が割り振られてるのですが、極端な話をすればQuakeのデスマッチとは、その7を押して敵を殺すか、あるいは8を押して敵を殺すゲームです。そういうモノである以上、ESDF+1~8設定は最も強力な武器を選択するという場面で移動キーから遠く離れた8をわざわざ押すという…安定性と即応性を下げる愚かな行為なのです。この問題に対してThreshの場合はFにグレネード、Shiftキーにロケット、マウスの右クリックにシャフトを設定する事で解決を図っています。

Thresh Bindでの小指担当キーは3つ
小指は(反応、正確性で)最も弱い指です。
Thresh Bindで最も特徴的なのは一番弱い小指で文字キー(AZ)を押さない、あるいは押させないというやや消極的な工夫です。他の指に比べて正確性に難のある小指を大きめのキーに常に添える事で安定化を図り、トレードオフとしてそこそこ重要な役割を振り当てたのです。この点に関してはWASD設定に比べてESDF設定は3キーを余分に稼げるメリットと、大きめなおいしいキーであるはずのTabとCapsの信頼性が損なわれるという小さな欠点があり、今日では両者は好みの問題とも言い切れます。同時に黎明期の賞金レースという稼ぎ時を短期的に駆ける上で、小指の信頼性を早い段階で見切った点にThresh Bindの人間工学的な合理性があったのは事実です。

しかし結局のところ賢人Threshの語る方法論の合理性、説得力とはQuake最強プレイヤー、支配的大会覇者という圧倒的な彼自身の実績に全てが裏付けられていました。少なくともThreshが無敵だった3年間と、その後1年くらいノックアウトラウンド常連、優勝有力候補レベルでいた頃はその魔法が解ける事はなかったのです。

Thresh BindとはWASDで移動し、5TGBラインより右側に戦闘操作キーを含めないという設定法でした。特にThreshは6は押せそうで、あるいは押せているように思えたとしても、実は押せていないキーなのだとPC Gamer誌で念押して語っていて、プロアマ問わず多くの人がこれに影響を受けていきます。中でも最も影響を受けたのがValveというゲーム開発会社でしょう。

ThreshのWASD設定に強く影響を受けているHalf-Life
ValveはMicrosoftの早期退職プログラムにより若くして億万長者になったMike HarringtonとGabe Newellにより96年に設立されました。Valveはid softwareの成功に影響を受けてスタートした会社で、設立直後にidとQuake Engineのライセンスを締結、そして98年にHalf-Lifeをその成果として完成させます。


Half-Lifeのデフォルトバインドは見事なThresh Bindのコピーです。Quakeにはなかったアクション(duck、useなど)を追加しつつ、それらをWASDの周りにコンパクトにまとめました。しかし特筆すべきはHalf-LifeがThresh Bindを参考にしつつ発明した素晴らしい武器カテゴリ機能です。



Quakeには全部で8つの武器が登場し、それらは順に数字キーの1から8に標準で設定されていましたが、Half-Lifeにはそれを上回る13種類の武器が登場します。HLの武器カテゴリ機能はそれらを5種のカテゴリ(近接、拳銃、対人小火器、重装、爆発物)に振り分けキーボードの1~5にマッピングしています。ゲーム中はカテゴリキーを必要回数押す事でgifvのように個々の武器を選択するのです。

Valveは賢人Threshの教え、Thresh Bindの基本イメージで図示したホワイトリストを忠実に守りユーザビリティの向上を目指したのです。Threshが6にキーを当てるなと言ったのだから6を押す必要がないゲームを機能的なアプローチにより作ったのです。Half-Lifeの今日に至る商業的、文化的成功の背景には様々な要因が存在しますが、完成度の高いデフォルトバインドとそれに適した設計を示した事もその一因と言って過言でありません。その後、多くの類似するキー設定が登場し、今日の実質的なスタンダードとなった事はその証明です。

驚くべきことに、それが単なる暇つぶしの為か、巨額の賞金を巡る戦いに勝つ為か分かりませんし、明確な意図があってなのか、もしかしたらポリシーなどなく、ただバインド変更の一切を許されないという不便なアプリケーションに強制されているからかもしれませんが、仮想現実の世界で意思を持って前進しようとする時、今日では殆どの人が指をWASDに添えているのです。

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