80年代のはじめに古のホビーPCがビッグコマーシャルな市場に革新的な物として鳴り物入りで登場した時、いち早く手に入れた先見の明ある(非ホビイストの)大人達はそれを大抵は持て余してしまっていた。広告には無限の可能性がこのクリーム色をしたプラスチックの筐体に秘められていると謳われていたが、帯に短く襷に長しのそれで何かできたかといえば、好奇心旺盛でやや内気な息子の為の高級なおもちゃになるくらいしかなかったのだ。
時は流れて90年代の末頃、当初は海の物とも山の物とも知れなかったそれも既に大衆層へ明確な利用目的を示せていた。韓国や中国の若者達がPCで、あるいはインターネットで何をしたかったかと言えばチャットとゲームだった。当時のアジアにおけるネットカフェ(韓国で言うところのPC房)需要、若者達の欲求であり、後世の人が文化と称するだろうそれを支えた核はテキスティングとオンラインゲーム、あるいは入れ子構造であるその2つの要素が混じりあった物だった。オンラインゲームの中でもチャットはできるし、ポータルサイトと呼ばれるようなコミュニティの場を提供する総合サイトはチャットスペースやBBSからオンラインゲームへシームレスにユーザーを誘導した。
SayclubのSay Messenger 後にこれはTachyと改名される。 |
Sayclubのアバター 韓国では個々のパーツを組み合わせるより、 一揃えでまとまったアバターセットの方が人気だった。 |
MSNなどに既に定住していたアーリーアダプター達はSayclubに批判的というより、嘲笑的だった。画像をアップロードして真に自由なカスタマイズが可能なIMがあるのに、なんでお金を払って制限の下で着せ替えごっこをする必要があるというのか?と…至極もっともだと僕も思ったが、その予想に反してアバター販売というビジネスモデルは大成功をおさめる。アーリーアダプター達がばかばかしいと表した制限が逆説的に無価値だったアイコンイメージ、デジタルデータに相応の価値を与えたのである。それは20世紀末に発明された新たな売り物であり、無価値だったデジタルデータに値札を貼る時代の到来であり、一本の線であった。
当初1000ウォンの期限付きデジタル衣装が果たして額面通りの価値を有しているか、それは誰にも分らなかったが、現実世界の高級衣服がすべての人に同じ価値を有していないように、粋も洒落もスタイルは後にやってくるものなのだ。事実として"廃"ソサエティのファッション競争は、競争が競争を呼んで加速し、彼らの着こなしは有識者が見ればその価値を概算できるようになっていたし、共有化された価値観はかつて無価値だった識別子イメージに社会的な信用を与えていた。例えばネットナンパ師達は信頼を得る為にデジタル空間の自分をそれなりに着飾っただろう、アバター程度にも金を回せないようなランニング短パン野郎が女性を釣れるワケはないのである。不思議に思うかもしれないが、現実の世界で会社の採用面接にランニングと短パンで赴く男がその後どうなるかなら誰もが想像できるだろう。
ハンゲームのデフォルトアバター こんな格好をしたプレイヤーは一切の信用がないと言って過言でない。 |
そんなポストアバター世界ならではのゲームといえば、2003年のF2P MMORPG メイプルストーリーだろう。装備を変更する事でキャラクターの見た目が変わるゲームなど以前より東西を問わずに掃いて捨てる程あったが、アバターの平易かつ平面的なピクセル調の見た目をそのままアートスタイルとして採用し、加えてアバターというテキスティング文化圏で既に成功していた豊富な装飾品をエグいマネタイジングに乗せて現金で売り払う感覚は同ジャンルの中でも他と一線を画していた。
メイプルストーリー 本作のテキスティング的な側面を端的に表した素晴らしいSSだ。 |
メイプルストーリーは一見して競争性の低いゲームである。豪華な見た目のアバターアイテムやEXPブーストなどの有料アイテムが山盛りに存在する一方で、ゲームの本質はAIの敵を延々倒し続けて、ただひたすら自分のレベルを上げるだけの極めてシンプルな賽の河原の石積みゲームであり、ゲームデザインとしてプレイヤー間の直接的な対立構造になっていない。例えば同時期にまた悪魔的課金オンラインゲームだと評されたドイツ生まれの長期的MMORTS トラビアンの場合はそれと真逆のデザインであり、プレイヤーは他のプレイヤーの村(陣地)を襲って、ぺんぺん草の一本も残らないレベルで略奪と破壊を行う超攻撃的ゲームである。
Travian ポップであたたかみのある愛らしいヴィジュアルながら、 その地続きに無慈悲な破壊と略奪が存在する超侵略的ゲームだ。 |
ゼロサムゲームにリアルマネーを介入させるというトラビアンの極悪な収益モデルは個人的に支持したくないが、一方でそのシンプルなメカニズムは理解しやすくもあった。むしろ、ユーザー間対立がないはずのメイプルストーリーで何故人々は競うようにキャラクター(アバター)を飾り立て、ガチャガチャを回しまくっていたのか僕は当初、不思議でしょうがなかった。
モバゲータウン 新しい事はなにもないが、テキスティング、ゲーム、アバターと、 重要な要素をコンパクトにまとめたプラットフォームだった。 |
Mafia Wars 物騒なタイトルをしているが、 プレイヤー間の略奪はトラビアンなんかに比べると無に等しい 誰にもやさしい新しい時代の石積み型オンラインRPGだ。 |
誰にも優しい石積みRPGという低刺激オナホールのようなオンラインゲームは、広く日本で受け入れられ特殊な進化を遂げる。MyspaceやFacebookではこのジャンルは一辺倒にギャングがテーマになっていたが、日本ではゲームデザインをそのままにガワだけが変化した。まずギャングがスマートな怪盗になり、怪盗がコミカルなトレジャーハンターになり、トレジャーハンターは美少女アイドルになった。
国産Mob系RPGの(不誠実な)流れ図 ゲーム性据え置きでマフィアの抗争という血生臭いテーマは遂に愛らしい美少女達の競演になった。 |
Mafia WarsのSilver Elephant Bundle Mob系亜流第一世代である怪盗ロワイヤルの時点では、 このリアル調な動物要素はそのまま残されていた。 |
みくにゃんに自己を投影する僕 |
王道スマホRPGにプレイヤー間の略奪はない。ガチャで引いたみくにゃんは恒久的な資産であり、みくにゃんは時にバトルをするがみくにゃんのやり取りや破壊は行われない、かわりになぜか会社の備品であるステージ衣装という別レイヤーの資源が強奪される。キャラクタは王道スマホRPGの核であり、絶対に不可侵であり、安全と愛情のぬるま湯に浸かっている。王道スマホRPGのキャラクタはそのものがご褒美であり、クエスト実行ボタンを押したり、ひっぱって飛ばしたり、パズルをするのが楽しいから人はそれを遊ぶのではなく、かっこよかったり、かわいかったりするキャラクタの為に、そのキャラクタのお話を読む為に半ば仕方なくクエストボタンを押したり、ひっぱって飛ばしたり、パズルをする。手段と目的が入れ替わってしまえば、お金を入れるとキャラが出るガチャガチャはそのものがゲームになるのである。つまり王道スマホRPGがなぜしょっちゅうコラボするかと言えば異世界のキャラクタを無尽蔵に召喚しそんな歪なガチャゲームを拡充できるからである。
楽しいみくにゃん当てゲーム
僕がWarcraft3で種族Orcを押して1v1がマッチしたら、最初のヒーローにブレイドマスターを選択するのは、僕がグリーンスキンでしか性的興奮を得られないオルクフィリアであるからではなく、BMがめちゃつよだし、僕が強キャラ厨だからである。強い行動をあえて選択しない事にある種の美学、崇高な精神を人は度々見出すが、ゼロサムゲームにおいて低い評価点行動を取ることは利敵行為に当たる。
Warcraft3のBlade Master ぜんぜんかわいくないけど強い。 |
一方でCounter StrikeにおいてCTのガンラウンドでM4ではなく、あえて下位互換のアサルトライフルであるFamasを購入するのが許されたのはスカンジナビア広しと言えどzneelだけだったが、それはzneelのFamasだけがアホみたいに強くてM4より総合的に高いパフォーマンスを示せていたからだし、同様にQMZの赤いジャギはQMZのレイよりも鋭利であったからそれらは揺ぎ無く正しいと結論づけられる。
Do the right thing |
売り上げベースでのモバイルゲーム市場規模図 人口に対して日本に住む人々がどれだけお金を突っ込んでいるか分かる blahblahblahでめちゃくちゃな事を書いたけど、こういうのを引用すると なんとなく記事が引き締まるだろうという浅ましい意図だ。 |
かつてのスマートフォンのように十数年後には今の僕たちが想像もできないような、革新的なデジタルデバイスが世に現れるかもしれない。しかし、その用途を僕たちはうっすらと分かっているような気がする、たぶんにそれはテキスティングとゲームなんだろうと。
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