2016年2月14日日曜日

タツキセクスと未来の耳

ルイージ・ルッソロ
20世紀初頭にイタリアの芸術家ルイージ・ルッソロはL'arte dei rumori(Art of Noises)、すなわち騒音の芸術と題した作品を発表している。産業革命によって急激な機械化が起こり、かつて自然界になかった様々なノイズが欧州を覆いつくしたが、このまま際限なく機械化が進むとすれば、未来の人類は更に幾千の多様なノイズに包まれて生活するであろう…という思案のもとに、ルッソロは様々な人工騒音装置を製作し、それが一同に鳴り響く空間を未来の生活と呼び、また、そんなノイズの世界にやがて人々が順応するだろう事を予想し、その愛なき世界に適合化した聴覚を未来の耳と呼んだ。


Tatuki Sekusu Hanazawa EP

21世紀初頭に日本の芸術家ケンセイ・オガタは、インターネット上でタツキセクスという黒いユーモアで署名した作品を発表している。一方で日本のアニメ声優 花澤香菜は十代の在学中にデビューし、澄んだ声質による必殺の囁き声演技に、優れた容姿も相まってブレイクするも、その売り出し中に高校のボーイフレンドとのプライベート写真が流出し、絶対的な処女性を信奉する狂信的ファン層の奥歯を存分に欠けさせたり擦り減らしてみせた。

話を戻すと、タツキセクスという名は件のボーイフレンドの名前からの拝借と、アメリカのシューゲイザーバンドAsobi Seksu(アソビセクス)のダブルミーニングで、その音楽性はレディーメイド(既製品)の花澤香菜が歌う楽曲に、Asobi SeksuというよりはシューゲイザーのクラシックであるMy Bloody Valentine(特にLoveless期)のような過剰なファズとフィードバックにまみれた自身の演奏をオーバーダブしたもの。その悪い冗談のような名前と、思いつきのようにみえるコンセプトで完成した創造物は大方の予想に反して驚くほどに調和している。それはコラージュとしてのシューゲイザー(MBV)と花澤香菜、共に愛と造詣の深さがみてとれる単一の傑作だ。

My Bloody Valentine - You Made Me Realise

僕は根がパンク小僧なので、LovelessよりEP連作の中のYou Made Me Realiseとかが好きなんだけど、ともかくMBVの魅力は滝のようなギターの轟音の中でビリンダ・ブッチャーが鼻歌みたいな調子でささやく(Whisper)というところにあると思う。同様にタツキセクスがタツキセクスたる理由にして、その魅力は、花澤香菜という音程は割としっかりしてるけど、ちょっと舌足らずで時折リズムが危うくなる、歌唱技術に関しては手放しに褒めがたい、愛らしい透明なささやき声を持つ女性を的確にビリンダ・ブッチャーの位置に置いて活用したという事だろう。

醜と美は互いに接した時に最も明確に現れ、また、その互いが接する境界を我々は混沌と呼ぶ。混沌の美しさはアウトラインが明確化する爽快感であり、ノイズの気持ちよさは隣接する事象が美しく浮かび上がる瞬きにある。花澤香菜のキラーな声質の美しさが最も輝くのは、轟音の中であり、それも負けじと声を張り上げて叫ぶのではなく、ただそっと囁く必要があるのである。


The Gits - Second Skin

そもそも轟音の中で鳥のような声でささやくというのは不可解な事で、MBVの同時期に活躍したThe Gitsの故ミア・ザパタは自身の表現の為に力強く、それはたくましく声を張り上げて叫んでいたし、かつて劇場の演者は男も女も、老いも若きもみな、腹部から発声して話し、歌っていただろう。自然界では囁きは不特定多数の人に届くことはないにも拘わらず、今日の電気技術が空気振動を増幅して鳴らし、瞬間のきらめきは録音され、際限なく複製される。

全てはテクノロジーによって実現している。かつて、空間を覆いつくすノイズの海の中で美しい少女の囁きを聴くことができたとすれば、それはその少女を射止めた者だけだったのではないだろうか、エールの箱を開けながらアントニウスが何を言ったかは知らないが、クレオパトラの愛の囁きを耳元で得られたのは当時、極僅かな人間に限られただろう。

Tatuki Sekusu Hanazawa EP

花澤香菜が高校生の頃に付き合っていたタツキくんは、その鼓膜に極めて限定的なある種の空気振動を幾度か捉えていた事は想像に難くないが、ディストーションの嵐の中でその耳打ちを得ていたかに関しては懐疑的であるし、過去に囚われていても何の意味もないと割り切って、未来に目を向けたとしても、今月のJesus Merry Chainの来日公演に花澤香菜を隣に連れて挑み、Just Like Honeyの曲中に愛を囁いてもらう事は多くの人にとって困難を極めるだろう。

しかしその最も優れた代替行為として、今日ではタツキセクスの歪なオーバーダブ作品が存在する事に僕は希望を見出す。彼女の瞬間の声は、彼女が職業声優となった事で電気的に一部が録音/複製され、自然界を超越して飛び交い、タツキセクスは捕らえる事のできないはずのそれをどうやってか気持ちよくさせる。今日ではテクノロジーはまるで魔術のようにふるまい、純情可憐な君の正体は魔法使いである。

口笛ジェットは僕を幾度となくブラジルへ向けて打ち上げるが、iphoneのラベルは悪夢のような現実をぼんやりとバックライト越しに2,073,600の集合で突きつける。僕は花澤香菜を射止める事はおろか、現実に会った事もなく、そのノイズの中で、か細くそれでいて、はっきりとした不自然な音の響きによってだけ唯一認識している。100年前にはありえなかった、様々な魔法の騒音が響く科学の路傍で立ち尽くし、過去の愛を求めて耳をすませている事をタツキセクスの12バイトと今日の日付がむざむざと思い知らせる。そこには一片の愛もなく、未来の耳がただ赤を垂らしている。

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