2012年2月19日日曜日

LA Noire 雑感メモ2

基本的に本作は40年代の社会情勢、風俗を再現しており、その時代のモラル観に基づいた描写は時に、現代の感覚においてはタブーとなるようなものも存在する。ゲームのチュートリアルからして、殺人現場に到着すれば、先に着いていた刑事は、「なんてことはない、死んでも誰も構いやしないヤクザのニガ公さ」と言った口だし、人種差別や就業中の飲酒、セクハラ/パワハラ、警察の捜査だってヤクザなやり口だし、ぶん殴って自白させるのだっておてのもの。これらは47年の空気感、リアリティを演出する"実"なのである。

これらはドラマ「マッドメン」の影響を色濃く感じさせる。マッドメンは50~60年代アメリカのイケイケドンドンな広告マンを描いたドラマシリーズで、リアリティの為、タバコの煙でムンムンのオフィス、登場人物はウィスキー片手に仕事をし、男尊女卑、黒人差別当たり前といった、現代の感覚では許されないことを大胆に描写している。(そもそも主人公のアクターがAaron Statonその人なのだが)

日本語版はニガ/ニグロと言った言い回しは単純に黒人と訳される。
これに限らず全体的に訳の対応語はやや迫力不足なチョイス。



戦後の闇は、LA Noireの中で最も重要なテーマである。勲章を貰って英雄として帰国し、警官となったフェルプスですら、あまり当時の事を話したがらない。同僚は「黄色の猿をたくさん殺したんだろ?英雄譚を聞かせてくれよ」なんてお気楽なものだ。本作では"戦闘ストレス反応"、PTSDについてが大きな社会問題として描かれる。メインストリームにおいてはベトナム戦争後、70年代後半にそういった戦中のトラウマに苦しむ戦後の人々を描いた映画がムーブメントになる。一時Vietcongに端を発して、トレンドとなったベトナム戦争ゲームが、極めつけにはShell Shockなんて"そのもの"が出てしまうほどトラウマ戦争体験ゲーム揃いだったのに対して、WW2は英雄譚ゲームが多かったものだ。ベトナム戦争が逆に特殊過ぎるのだろうか?、そんな事はないだろう。戦争によって元に戻らない深い傷を負った人々、そんな普遍的なテーマを描いているにも関わらず、結果的にWW2によって負った戦後アメリカの闇というテーマは、新鮮かつ印象的に僕の目には映った。「父親たちの星条旗」以降のビデオゲームなんだから、まぁこんなもんだろうか?最近はWW2モノシューターがめっきり少なくなって世界的テロリストがどうのみたいなゲームばっかりになっちゃったから単純に比較ができないか。


上は(学生運動全盛期の)学生時代の島耕作のエピソードである。シマコーシリーズのうすっぺらさを大変良くあらわしたサンプルとしてネット界隈では非常に有名なのだが、島耕作に負けず劣らず主人公フェルプスくんも、後出しジャンケン聖人みたいな妙に嘘臭い男である。47年の社会情勢、モラル観を描いた世界と現代のプレイヤーの間にあるギャップを埋める役割を彼は担っているのである、だから彼には未来が見えているのだ、時折思わせぶりなセリフ=現代のプレイヤーが思うだろう事(疑問に思う事)をそのまま説明口調に代弁しだしたりする。Red Scare=赤狩り(ニュアンス的にはアカの脅威)に関するエピソードはシチュエーションとしては真逆なのだが、ニヒルぶったフェルプスくんが学生時代の聖人シマコーと重なる。

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