自由な音楽がクリエイトするFrom Dust |
なのに多くの人は音楽とは何かにコントロールされるものだとばかり思っている。しかしそれは人間があまりにも忘れっぽく、そして短命過ぎることが原因だろう。現代を生きている殆どの人は生まれてからずっと音楽はコントロールされるものだと刷り込まれていて、それが当然なんだと思っているに過ぎないんだ。
ここに興味深い記事がある。
http://blogos.com/article/85819/
ニルヴァーナのプロデューサー、スティーブ・アルビニが語る音楽ビジネス
「音楽共有はパンクロック以来最高の出来事だ」
アルビニは音楽の本質がより原始的なものだということを認識している。上の記事ではネット共有とSpotifyといった派生するストリーミングサービスへのコメントにスポットを当ててまとめてあるが、イアン・マッケイにしろ、Big Blackのドラム担当メンバーにしろ、彼らは音楽が何者にも縛られない性質である事を知っているので、旧態依然としたシーンの血吸いヒル共を冷笑しながらも、インターネットやそこで展開されるフリーミアムモデルにも同時に懐疑的である、すなわち音楽ビジネスそのものが砂上の楼閣であることを肌で感じている、そしてそれこそが本当に重要な点である。
Oracle Music Disk Part 2 (96年作)
先鋭的な音楽活動形態の一つと言えよう。
思い返してみて欲しい、完全に複製された音源が、TCP/IPで受け渡されるという事、880KBフォーマットがメール便でシェアされるという事、公共の電波で放送されるという事。もっと遡ってみて欲しい、RIAAは1952年、JASRACの前身はもっと前で1939年に設立されている、更に言えばそのきっかけであるプラーゲが楽曲の演奏、放送に関する権利仲介ビジネスを始めたのは1932年だ。しかし、もっと前、フォノグラフが発明されたのは1877年だが、見たことか、もう既に誰も当時を知る人なんて生きてやいないじゃないか。
歴史のお勉強なんてやめだ、ここはビデオゲームのブログだ。それなら、おあつらえ向きなのがある、別に5だろうが、2だろうがいいんだけどさ、Civilization 4を起動するんだ。
Baba Yetu
タイトルスクリーンでもう十分だ、文明が始める前、地球があって、そこには音楽があるんだ。Baba Yetuが現代の作曲家による曲だとかつまらない話はやめよう、必要なのは想像力だ。音楽は、はじめからそこにあった。Civilizationではゲームを開始してプレイヤーは文明を発展させるべくテックツリーを進めるだろう、それは狩猟や石器から始まり、書記、文字が発明され、そこから貨幣や契約が発明されていく。様々なテクノロジーが生まれ、あるものはいずれ陳腐化して消えていく、音楽は、そのどれよりも先に生まれ、まったく陳腐化することがない。だから言葉のない時代にも、人類は石を打ちつけビートを生み出した、会いたくて会いたくて震える思いを叫びにしていたんだ。
ライヒのドラミング
音楽の暗黒期とはそういった遍在していたはずの音楽をエリート化し、一部の格式ばった上流階級達だけの物にしようとした潮流である。そこではどんなパワフルなドラミングも、100の言葉より雄弁な言語的意味を持たない単一の叫びも、宮廷音楽のルール/フォーマットに沿っていないのであれば、音楽にあらずとされた。現代において宮廷音楽延いては、○○でなければ、それは音楽ではないという貧しい考え方は陳腐化し、中年男のペニスに電極をあてがう事で発生するグルーヴや、手袋に仕込んだマイクロフォンをスピーカーに近づけたり、離したりする事で発生するハウリングノイズの位相差すら我々は音楽として認識できる程に時代は改善している。
話を戻そう、音楽とは人類の原子である。それを後になって発明された権利という発明で縛り、レコーディング技術や放送技術、インターネットだとか後発のテクノロジに乗っけて完全にコントロールできると一部の人は思っているのだ。音は波だ、空気の振動に過ぎない。しかし同時に我々はオリコンチャートをみて、日本の音楽産業は終わったと嘆く前に、壁を反射し外耳を迂回してやってきた、もっとパーソナルな何者にも縛られない自由な音へ耳を傾けるべきでもあるだろう。音楽の授業なんて終わりだ、作曲はくそったれだし、旋律も大概だ、誰に捧げる必要も、誰に感謝する必要だってないんだ。
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