2014年7月25日金曜日

お前の名は運命 Greg Kirkpatrick

イメージ
MarathonをリイマジネーションしたHaloが、スパルタンという見た目に分かりやすい戦闘サイボーグのキャラクタを描いたのに対して、Marathonシリーズでスパルタンに相当するMjolnir-4はブレードランナーのレプリカント(Nexus-6)のような存在として描かれました。擬態化して人間社会に溶け込み、偽の記憶を植えつけられ、一般人として生きながら、非常事態では率先して戦うという具合です。プレイヤーは狂言回しのAI達に頼まれて「おつかい」をする巻き込まれ型一般人(警備員)の体でありながら、その実体はMarathonの最初の襲撃(HaloにおけるReach)で全滅したミョルニル4の最後の生き残り、ラストワンであることが後々明かされます。この設定やプロットを書いたのがGreg Kirkpatrickというとてもオタッキーな人でした。
Greg Kirkpatrick
Marathonシリーズ最終作のMarathon Infinityは、Jason Jones率いるBungieのメインチームが次作Mythに取り掛かっている間にBungieから独立したばかりだったGreg Kirkpatrickをメインシナリオに少数の社内チーム、それにコミュニティの人間を集めて進められた実質的な外部委託、サイドプロジェクトといった扱いで、シリーズに一つのケリをつける為に作られました。既にサードパーティ製の簡素なマップエディタが世に出回っていたものの、これまで門外不出だったBungie内製のエディタを、ローカルな運用ルールを伴う煩雑な仕様を一般化し、バグフィックスしてAnvil/Forgeとして同梱したのもその一環です。

Marathon Infinityとは一つの可能性だと僕は思います。前2作で丹念にターミナル上のテキストを通してプレイヤーが不死身の戦闘サイボーグ ミョルニル4 ラストワンである事を描いてきましたが、同作のプレイヤーは宇宙の終焉を回避すべく、ラストワン以外の敵/味方を問わない様々な肉体を借りて、異なる時空を旅します。それはプレイヤーを通し継承される群像劇でした。ただし結局のところMarathon InfinityはリニアなオールドスクールFPSに過ぎません。やることはいつもと全く変わりなく、おつかいをしてストーリーを進めるだけです。ラストワン以外の何者になろうともプレイヤーがする事はなんら変わりありません。しかし同作は一貫して複数の可能性の物語を描いた事に意義があります。GregはMarathonをラストワンの一人称視点、単一の物語である事を否定しました。それはラストワンもプレイヤーが操る一つのロールに過ぎず、全てはプレイヤーの体験と記憶の継承によって紡がれる事を意味していました。

カアイソウ
Greg KirkpatrickのMarathonシリーズに対する決着とは前2作の否定です。Marathon 2 Durandalで迎えたグッドエンドに対して、その可能性の一つとして存在した無数のバッドエンドを何通りも延々と繰り返すのがInfinityのストーリーテリングでした。これにはいくつかの意図がありますが、最も大きな理由はInfinityが当初エディタのリリースを目的として始まったプロジェクトだった事で間違いないでしょう。AnvilとForgeはまさに無限の可能性を秘めていました、Anvil/ForgeがMarathonを作る為のエディタだったのではなく、あくまでMarathonを作る際にBungieが用いたエディタだという結果の話に過ぎないのです。つまり、これからこのエディタを使用するだろうユーザーに向けて固定観念を拭う為に用意されたサンプルとして同作のシナリオは書かれていたのです。

端的に言って、BungieはMarathonを最後の最後でブン投げました。宇宙は単一でなく、視点もまた無数にあり、創造される何物も全てが正しいと、そんじゃ後は勝手にみんなでファンフィクションなり、トータルコンバーションを作ってやっちゃって下さいといった具合でした。Bungie自身もHaloの製作にあたって、それをMarathonの直接的な続編と銘打つ事をしなかったですし、スパルタンの強化外骨格にMjolnir mk.5と名づけてオタクどもをニヤニヤさせるようなサービスこそ彼らは忘れなかったのですが、それはプレイヤーの体験と知識を継承させるのみに留めました。

Marathonは黎明期のFPSとしては圧倒的なシナリオの密度と表現を持っていました。実際にトータルコンバーションを手がけた少なくないフォロワー達はゲームプレイ以外の「お話」作りに注力しました。いかにSci-fiでオタッキーな入り組んだ設定とストーリーを組み込むかがMarathonファンの腕の見せ所だったのです。また時に原作とかけ離れた創作をする事に拒否的な反応を示す人間というのがいるでしょう、「飛影はそんなこと言わない」だとか言ったもん勝ちだとも思いますが、実の所、多様性、可能性を認めるという事は全てその受け手(読者だとかプレイヤー)に委ねられているのです、間違っても原作者が許す、許さないとかいう次元の話では決してありません、創作物とは世に出た瞬間に創作者の意思がこれっぽっちも汲まれなくなる物なのです。しかしGregという大変オタッキーな人は自ら書いてきたシナリオを率先して犯す事で、Marathonをより自由に多くの人が公衆便器じみたファックをする事の可能性を提示したのです。

Marathon InfinityのFinal Screen
You Are Destiny
Marathon Infinityのエンディングはそんな彼の、ややセンチメンタルな一連の語りで終わります。

高次の存在となったデュランダルもやがて訪れる宇宙の終焉に抗う事はできないだろう、それは異なる時空でプレイヤーが借りた肉体の一つ一つも同様であるが、あなたは幾千の死を経験し、絶望的な軍勢にも打ち勝った、あなたは操作し、破壊し、何度でもよみがえる、あなたのような存在を何と呼ぶだろうか、私は知っているぞ、お前の名は運命。
思い出してあの時を!
この宇宙の終焉とはMarathonシリーズの終了を意味します、また異なる時空で借りた肉体の一つ一つとはMarathonとそれ以外の世界中のビデオゲームの事でもあり、それはすなわち、あなたの体験であり、あなたの可能性を指します。あなたは時に宇宙海兵隊としてデーモンを地球上から根絶してみせましたし、時にはテロリストになってMAC原子力発電所の爆破任務を4人のチームメイトと実行しました。思い出してみてください、マイアミのシリアルキラーが何故人を殺していたのか、息子達の陰謀を逆手にとる狡猾な男の手助けをする駒となった忌々しい時代を、黄色いモフモフになって理由もなく砂漠を駆けた幼少期を。

Greg Kirkpatrickの名前はMarathon Infinityの後は全く聞かなくなってしまいましたが、今現在に至るBungie作品の根底に流れる血液を強力にポンプした心臓の一つであり、とても印象深いシナリオライターの一人でしょう。そして未だにFをPFHと表記するようなイカれたサイトを運営してるようなコアなBungie狂はBungie独立後の新作タイトルがInfinityのラストラインからの引用である事に熱狂しました。ビデオゲームを遊び続けた我々や、これからたくさんのビデオゲームに触れる全ての人々、あなたこそが運命(Destiny)なのです。

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ugh