リハビリがてらに軽く一本。
BioShock Infiniteをクリアした人向けです。
BioShock Infiniteはオジンの物語であり体験でした。
BioShock Infiniteは大変パーソナルなお話でした。人種/性差別、宗教に社会学、アメリカの闇が群像的に描かれますが、結局のところ主人公である壮年ブッカーの原罪は娘を売った事で、全てがここから始まり、洗礼を拒み無頼となったのが我らが戦う中年ブッカーであり、洗礼を受け名を改めたザカリーは高年から文字通り死を辿るまでの自分自身です。
彼らの持つ本質的な問題は、借金や妻との不和、手前が種無しで子供ができない事(思えば必殺シリーズの中村主水は重たい設定なのでした)などです。労働者の蜂起やクーデター、先住民を虐殺した過去などは実のところ些細な問題です。
全ての原因は原罪にあり、娘を売った事、種無しになり金で娘を買った事、金で娘を奪う事すべてが一人の壮年から高年の男の犯した罪とその罰に過ぎません、全ての苦悩はオッサンからジジィへの衰退の物語にだけ収まります。ブッカーという人間には意図して幼少期や青年期のバックグラウンドがありません、残酷なまでに彼は中年であり、自身が生まれた事を自ら呪うことすら叶いません、中年の失敗だけがそこにあります。
本作のゲームデザイナー兼メインライターであるKen Levineは現在47歳、彼は残酷な中年男です。さて、突然ですが映画バタフライエフェクトという作品がありますが、これは自分と幼い頃の友達がみなずっと幸せになれるようにと、タイムトラベルの力を持った主人公が過去を遡り修正する物語でした。彼は何か一つの問題を解決する為に行動すると結果それが全て裏目に出て、誰かしらが不幸になってしまうというジレンマに苦悩します。結局彼は全てを諦め、他のみんなが穏やかに暮らしていけるようにと自らの出生を呪うのです。
映画バタフライエフェクトにおいて主人公が自分の出生を呪う行為は犠牲の精神によるものであり、彼の責任による罰では決してありませんでした。比べてBioShock Infiniteにおけるブッカーの呪いは、自らの罪に対する罰なのです。ブッカーはゆりかごのザカリーを絞め殺す事を高次の存在になったエリザベスに提言しますが、エリザベスはそれが間違いで、罪の本質は一人の中年が犯したたった一つの過ちに過ぎない事を最後に伝えるのです。
BioShock Infiniteはオジンの体験であり共感でした。
そしてエリザベスは大変性的な娘さんでした。愛嬌があって快活というかじゃじゃ馬な、そして知性のある可愛らしい娘さんでした。作中でブッカーは彼女と心を通わせますがセックスはしていません。ですがファンアート界隈は発売前からさっそく彼女を脱がし、犯しました。ララ・クロフトをさんざコマしてきた性豪達にとって彼女をオカズにする事はなんら難しい事ではありませんでした、ネットペニスはいつだって自由です。
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件のEdge表紙 |
ブッカーと共感したオッサンが、ブッカーが犯していない罪を、近親姦を背負って苦しみ哀号するのです。ですから最後は死んでしかるべき自分を我が娘の手によって呪ってもらうのです、BioShock Infiniteはオジンの物語であり体験でした、オジンの共感をしてそれはオジンの罪にもなるのです。
この記事のスクリーンショットはエリザベスの魅力を、
伝える為に僕のSSフォルダーから選ばれた精鋭達だ!
そういうことだよ。 |
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