The Truth About Love... |
The KinksのTシャツ安過ぎでは? |
~加瀬さんは基本的に、山田結衣の視点を軸に加瀬友香をはじめとした(極めて限定的な)他者との交流と彼女の心中独白(モノローグ)を通して物語が描かれる。スクールカーストという語が適切か疑問は残るが、同じ学校に通っていても交流のないグループというのは常に存在する。例によって山田と加瀬は長らく殆ど接点もなく過ごしており、物語は高校2年の夏になって、ふとしたきっかけで互いに面識を持つ所から始まる。しかし愛の連続体に遅延はない。すぐに山田は加瀬の眉目秀麗な顔立ち、人好きのする竹を割ったようなさっぱりとした性格と豪放磊落な振る舞いに惹かれる。誤解を恐れずに言えば山田は加瀬に男性的な、あるいはその代替的な因子に対してはじめ憧れを抱く。
何をしてるの 何を見てるの |
無自覚な意識の変革によって、山田は事あるごとに加瀬を目で追うようになり、太陽が地表からふと目を離した頃には「どうか加瀬さんが…わたしのことを好きでありますように」と極めてパッシヴな願いを念ずるまでになる。まるで恋する少女のように。しかし待ってくれ、実際に彼女は恋する少女じゃないか、恋する少女のような恋する少女ではないか。加瀬が男らしさと呼ばれるような曖昧に定義が共有された何かを確かに有している一方で、山田は曖昧な女性観を曖昧であるがゆえに額面通り的確に捉える事が出来る。フルカワミキの言葉を引けば「あたしもう今じゃあなたに会えるのも夢の中だけ」といった感じだが、よくよく考えたらこれもいしわたり淳治の言葉であり、ナカコーの旋律であった。それじゃあ男らしさとは、女らしさとはなんなのだろうか。僕にはさっぱり分からないのだ。
二人の仲はどうでも、会いたいなんて言うのさ アニメの加瀬さんはこの導入がなく開始時点で既に交際が始まっていて度肝を抜かれる。 |
僕は髪を短くして男装をした女が、フェミニンなぽわぽわした女に欲情している様を見るのが好きだし、逆もまた然りであるので、~加瀬さんは前世で切り離された魂の一部の様に愛おしい作品だと感じる。TCP/IPのくちづけが僕とあなたをだらしなく繋ぎとめる一方で、少女と少女の間には愛が隙間なく堆積し、誰もきっとそこに割り込めはしないのだ。
Oculus Goのパノラマ再生モードでみた加瀬さん
現時点のVRは出来る事が限定されていると言わざるを得ないが
地を這うアリになって女が女にキスしている様を眺められるのは革命的である。
ところで英語圏では男勝りな、お転婆な女の子の事をしばしばTomboyと言う。たとえばプリパラにはボーイッシュキャットと名付けられた揃いのコーデがあり、英語圏のプリパラファンコミュニティは独自の翻訳としてそれをTomboy Catと呼ぶ。また同系統の対となる衣装バリアントにガーリッシュキャットコーデがあり、これはそのままGirlish Catと呼んでいる。ボーイッシュキャットコーデはアニメ版プリパラで大神田グロリアが10歳の頃に仲違いした真中ひめかと20年越しの和解をするという、プリパラ第一シーズンで最も美しく感動的なエピソード(S1E25)において象徴的に描かれる。メアリー・タイラー・ムーアショウばりのバリバリ独身キャリアウーマンで抑圧的な教師である大神田と二児の母で何事にも寛容な真中(らぁらママ)という今日では異なる道を歩んだ2人が、少女時代の強い絆をプリパラによって取り戻す愛の叙事詩であり、ペルソナにより性差や年齢による姿形、あらゆる境遇を越えて愛は遍在するというプリパラS1最重要テーマの集大成的なメッセージでもある。
プリパラS1E25 大神田と真中 二人の間に滞留するのは時空を超えた愛です。 |
ピカチュウはピカチュウとしての尊厳、職業選択の自由を今日では得た。 |
エイリアン2のバスケスは典型的で紋切り型なブッチ像の一つです。 アクション映画において脅威と戦うヒロインが2人以上登場する場合、 よりブッチ的傾向の強い方が途中で死に、比較的フェミニンな方は生き残る。 これをバスケス(は死にリプリーは生き残る)の法則と言う。 |
ゆえにトム/ディーは一見してややこしく、はっきりとしない考え方だが、これを適用すると~加瀬さんという作品を端的に言葉で表する事が出来るようになる。「女子高生のトムとディーがめっちゃ仲良しなアニメ」とかだ。フェミニンな10代の少女がボーイッシュな10代の少女に対して、「なんで同性なのにこんなに私はあの人が好きなのだろうか?」と思う事、あるいは逆にボーイッシュな10代の少女がフェミニンな10代の少女にそう思う事がなんてことない、類型的で至極ありふれた、掃いて捨てるほどこの世界に存在し、同時にそれが当事者たちにとってかけがえのない真実の愛である事を示す。
彼女は百合ですか、レズですか、トムですか、ディーですか? Female Masculinity、Female Femininity、常にそれらは相対的です。 |
90年代にはモールドがゲイであることは公然の秘密となったが、Husker Du解散後も彼はこの2曲をセットで今日まで歌い続けてきた。前者はどれも自分にはまったく分からない事なんだという歌で、後者は愛はどこにでも存在し、偽る必要なんてないんだという歌である。モールドにとって、加瀬さんにとって、ピカチュウにとって、僕にとって、あなたにとってまったく理解できない事は出来ないままそこに留まり続けるだろう、けれども、それぞれの周囲に愛は自然な形で定着している。理解と共感は別個にあり、時に人は自分と違う部分に惹かれ、何らかの同一性によって繋がる。そこで他者の目を通して何かを見ようとする必要があるのだろうか。愛に規範がないにも関わらず。
アニメ あさがおと加瀬さん。はGyaoストアにて単話200円で視聴ができる。
https://streaming.yahoo.co.jp/p/y/00025/v12741/
鳴村グレース/翌週
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